2018年 04月 21日
見上げた新緑に肩の力を抜いて。 |
気がついたら4月ももう末!
わたしはと言うと、
ハタヨガが何を教え、何を説いているかの復習トレーニングを受けています。
(毎回白熱の座学。たのしすぎますー。)
わたしクラスでペアワークだったり、
とくにフィットネスクラブでは壁じゃなくて鏡なので壁が使えないから、
お互い壁になり合うような時間を持ったりします。
そのときに
『その人のポーズだから無理にやらせようとしないで!』
って言うのですが、
たまに無理矢理、脚をつかんだりしてる人がいはります。
うーん。
アスティヤだな。
(盗むこと)
と、思いました。
それって人の『経験』を盗んでることになると思うんですよね。
わたし達がやっているハタヨガはポーズができるようになることが目的ではないし、
やり方を教わりに行ったり来ているわけではないし、
目的のポーズに向かっていくまでの過程を経験し、
その中で揺らぐ感情や身体の変化を感じ理解していくことが大切だから。
理解するためには経験が必要で、
欲しいのは決して答えではないはず。
自分のことを理解するためには、
急に差し出された完成されたものをもらっても何も理解できない。
たとえば、
道を外れないように、と、敷かれたレールの上を走るのはどうだろう?
ある意味ラクだと思う。
なにも考えなくていいから。
でもきっと目的のところに達しても達成感はないんじゃないかな。
祖母が自ら歩かなくなろうとしていたときに、
手を貸していた叔母を見て、
感じたことと鼻の奥で同じ匂いのするこの感覚。
(深緑キレイなNadiさんの窓」
「良かれと思って」
という、その人の「善」の名の下にされている行為だからこそ、
少し厄介なんだと思う。
「善」や「悪」のボーダーラインは人それぞれだから、
その境界線を人と共有すると起こることなのかもしれない。
実際わたしも往々にしてやってしまう傾向にあるとおもう。
「あなたのためを思って」
この言葉はかなり厄介だと思う。
アスティヤからアパリグラハ(不貧・所有欲)にもつながっていて、
きっと見返りを求めるようになる。
あー、こわい。
気をつけよう。
肩の力抜いていこーぜ。
3歳のわたし。
ほら!
本質なんてかわらないんだよ!
何も変わってない。笑
by jitte_hys
| 2018-04-21 19:43
| Yoga